ぽんぺ通信

ゆーほといいます。絵とか音楽。 連絡先 Line: http://line.me/ti/p/%40baj9588f Twitter: @onakaitaibot Mail: ponpebot@gmail.com Skype:unidentified4.5

ゆーほの生い立ち~小学生編~


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ごはんたべすぎて吐きそうになりながら書いてます。

ゆーほです。
上のイラストは自作です!
せっかくだからちょこちょこここでも絵を載せていこうと思い、さらっとバイト前に書きました。
 
さて、僕の生い立ちを書くに当たって、少し躊躇っていることがあります。
 
僕の生い立ちを語るという事は、僕がどういう人間か知ってもらうためにやろうと思っていることです。
 
僕という人格を形成した人生の出来事の多くは、たぶんだいたい辛かった出来事です。 
 
たぶんほとんどが不幸自慢みたいになります。
 
嫌な気分になる人もいるかと思います。
 
それでも僕のことを知ってもらいたいと思うので、必要なことを書きます。
 
半分は自己満足と自己記録なので、ただ僕のイラストが好きだからそれでいい、とか、人生まで興味ない、という人は読む必要ないかもしれません。
 
少しだけ重い話が続きますが、もし興味があれば、読んでください。

家庭

僕は長野県出身、弟が2人います。父、母は二人とも教師です。親戚も教師がほとんどで、教師じゃない親戚はあんまり知りません。
 
幼稚園~小学一年生までは結構元気で、レンジャーごっこでレッド役やってたりしたみたいです。
お絵かきも好きでした。
 
父は県内の転勤が多くて小学2年生のときに僕は転校しました。
 
そしてぼくはここであんましうれしくない経験をしました。
 
 

小学二年~三年のいじめと状況

転校生だったからなのか、運動音痴だったからなのか、勉強ができなかったからなのか分かりませんが、ひどくいじめられました。
いまもたまに夢にでたりするのは勘弁してほしいとこですね! 
 
運動音痴や勉強のことは、それ以前の記憶がないのでいじめのせいでそうなったのか、もともとそうだからいじめられたのかはよくわかんないです。
 
具体的に書く必要があるかな・・・・う~・・・ん・・・
 
とりあえずクラス全体対僕一人でした。
その時の担任はゴミみたいなヤツで、クラスは崩壊してました。
授業をやらずに子供を早く帰らせて隣のクラスの先生に怒られてたのを見た記憶があります。
 
単純に知ってもらいたい気持ちもあるので、少しだけ書きます。
暴力は日常で、リンチみたいなことがよくありました。
あとはよくある「バイ菌」みたいなやつとか、グループの給食の食器を1人で片付けたりだとか。
休み時間はここから出るなと言われてずっと隅っこで座ってたこともありました。
 
でもそれは悪意とかじゃなくて、子供たちはたぶんコミュニケーションみたいな感覚でやってました。
僕はそういう「キャラ」の立ち位置だったんだと思います。
 
ここまで無法状態だったのは、誰もそれを悪い、という人がいなかった事も問題の1つだったと思います。
 

 不登校と両親

ぼくは学校を休みがちになりました。本当に学校に行きたくなかった。
家で見送られても、泣いてそこから動かなかった事もありました。
たぶん母は覚えてないと思うけど。
 
でもぼくは学校に行かされました。
それはそれ以降不登校にならなかったという意味ではよかったのかもしれないです。
 
でもこれは今思うと「我慢グセ」がついてしまい、嫌なことでも溜め込んで、続けてしまう性格に結びついているのかも。
嫌だといっても許されなかったんです。
 
こうやって書くと両親がダメなやつだと思われるかもしれないけど、二人とも立派な人で、とても尊敬してます。
 
父は最近話したときいじめのことをそこまで大きなことと認識してなかったようでした。
たぶん仕事で忙しくて、あまり育児に関われなかったんだと思います。
 
母はこの頃たぶん育児に専念して教師は一旦退職してたかな?
聞いてみないとわかんないけど。
 
母は僕をできるだけ学校には行かせたけど、いじめに関しては学校まで行って、いじめを何とかして欲しいって担任に泣きながら話してたことをはっきり覚えてます。
その時担任はへらへら笑ってました。
 
どうしてもつらいって言った時は2人で外食に行ったりもしました。
 
たぶん母は、いじめられてる僕を何とかしたいとは思いながらも、学校は行かせてあげなきゃ、と思っていたんだと思います。
 
今思うと、この頃母は本当に必死で、いっぱいいっぱいだったんじゃないかと思います。
 

両親の喧嘩

僕は父母2人とも尊敬していて大好きですが、2人の仲はとてもいびつです。
 
僕が小学生の間は2人は喧嘩ばかりでした。
物を投げて怒鳴ってたり、車に乗っていてもいつも喧嘩でした。
母は結婚したくなかったと言っていました。
 
2人の間に愛はないんだなってずっと何となく思ってました。
それは今も同じです。
 
2人の喧嘩を止めるためにぼくは家では常に「いい子」でいました。
家に僕がワガママを言う余地はありませんでした。
弟はまだ小さくて、母がつきっきりだし、僕は喧嘩もうやめよって泣いて止めてました。
 

その結果がこれだよ(たぶん)

学校ではいじめ、家では両親の喧嘩で安全基地がなかったぼくは、どちらにいても、常に人の顔色を伺っていました。
まわりを刺激しないように、自分の感情を押し込めて、まわりが思う自分を作りました。
 
だから逆に学校ではほとんど泣きませんでした。
泣かないから泣かせてみたい、という理由で泣くまで暴力を振るわれた事もあります。
 
僕の自尊心はそこで地の底まで落ちて、自分はクラスのヒエラルキーの中の底辺にいるから、こうして奴隷のように扱われてあたりまえなんだ、と納得し、なぜか、いつしかイジメもあたりまえのこととして受け入れていました。
 
学校へ行くことへの意欲の低下、そして不登校も相まってか、宿題はその頃全く出さないようになり、授業内容もよく分からなくなってました。
 
そんな僕にとってクラスがえは救いでした。
4年生のころ、クラスがかわりました。
そこから6年生までは、多少いじりみたいなものはあったかもしれないけど、2、3年生の頃に比べたらなんでもなかったし、ほぼ記憶にありません。
宿題を出すのは苦手だったかもしれないけど、勉強もたぶん普通でした。
静かめな友達と絵を書いたりしてたかな。
 

 でも私は元気です

暗くなってすいません!!明日もこんな感じです!
ちなみにいまは人生で1番幸せです。
 
あと、これはまあ不幸なんだろうけど、誰にでもありうることだし、私なんてもっと不幸だ!あまえるな!とか言い出すときりがないです。
冒頭で不幸自慢っていったけど不幸自慢がしたい訳ではないです。
いくらかわいそうでも運が悪くてもだからといって何かが許されるわけでもないですからね。
だれもが悩みや過去のトラウマを抱えていて、僕の場合はこういった内容でした、というだけです。
そして、僕を知ってもらうために、僕の人格を作ったこういう出来事を書きました。
明日も書いていきます。
 
今日はここら辺までにしときます。
明日は中学編書きます。