ぽんぺ通信

ゆーほといいます。絵とか音楽。 連絡先 Line: http://line.me/ti/p/%40baj9588f Twitter: @onakaitaibot Mail: ponpebot@gmail.com Skype:unidentified4.5

自己嫌悪とプライドと幸せのお話

こんにちわーブログ更新したいなぁと思いつつ割と忘れてますゆーほです(だめだね)

 
今日は生きづらさとプライドのお話をしようかと思います。
 
また自分のお話から話すことになってしまうけど自分のブログだからいいや
 
自戒と自分のメモとして。
 

自己嫌悪の塊だった

僕は小学2年生以来ずーっとネガティブで自己嫌悪の塊でした
 
小学2年生の時の様子がこちら
小学2年生以来ポジティブになる事は一切なく、むしろ悪化していきました。
 
そしてどんぞこで死にそうになって死にたくないと思った時、色んなことをきっかけにここ1年くらいでだんだんポジティブになって来ました。
 
今ではポジティブの塊です。ネガティブのネの字もないくらいにはポジティブです。どんなことがあっても前だけ向いていけると思います。
 

人との対比で生まれる自己嫌悪

 
自己嫌悪ってどんな時になるんでしょうか
 
色々あるかもしれないけど、ひとつは周りより劣ってると思った時、「自分はダメだ、自分なんて価値がない、自分はクズだ」と思ってしまうと思います。
 
まわりができているのに自分は出来ない
自分はこんなことも出来ない
 
そう思ってしまうと自分には価値がないように思えてしまいます。
 
学校なんかは画一的な物差しで競争させるので、そういう考え方は染み付いてしまうのかなぁとか思ったりします。
学校がもし苦手で学校に行かなくなってしまったらすぐにその物差しの中で最下層になってしまいます。
 
でもその人には本当は人より優れているステータスが勉強以外にいくつもあります。
それに気づかないまま一部の学校に関するステータスだけ見て自己嫌悪に陥ってしまいます。
 
逆もまた然りで、学校で優秀であればその物差しの中でどんどん地位があがります。 
自分は人間として人より優れている、と勘違いをしてしまいます。
 
たしかにそれは素晴らしい事なんですが、いくつもある人間のステータスのうちたった一部を伸ばしているだけなのです。
(もちろんそれだけでいいし、それだけで素晴らしいことだと思うけれど)
 
しかし社会でみんながそのステータスばかりを評価の物差しとするがために、その人は総合的に優れていると勘違いしてしまいます。
全ステータスカンスト状態だと思ってしまうわけです。
 

自分の場合

自分の場合は苦手ながらも中途半端に学校のステータスもあったみたいで、かと言って優れていた訳ではなかったがために周りとの対比で悩みました
 
周りが普通にやっていることが自分には辛くて、うまく出来ませんでした
 
たとえばテストの点数、単位、出席、就職。
 
大学に行くと正社員になって就職するのが当たり前、就職できなかったらクズ、負け組!
みたいなのがあります。
 
大学の学費出した分ちゃんといいとこに就職して稼がないと割に合わない、という考えは分かるんですが、
そもそもやりたいことが分からない、みんな行ってるから私も行く、大学出るくらい常識、みたいな考えの人たちがこぞって大学に行くのがああああって感じです
 
(つい大学批判しちゃう)
 
まぁ僕が卒業できたのとか本当両親を中心とした周りのおかげだったのですが、いやなことをここまでお金かけてやるべきではありませんでした
 
何も考えてないって一番こわいです。
 

高望みしちゃう

そういう常識の中で生きていると、つい色んなことが「当たり前」のように思えてきて、高望みしちゃいます。  
 
でも生きてること以外全ては贅沢だとぼくはおもいます。
 
やんなきゃいけないことなんてものはどこにも決まってなくて、ただ自分がやりたいかやりたくないか、それだけです。
 
死にそうになったのを何回か乗り越えた時、「ああ、どんなことも死ぬよりはマシなんだ」って気付けました。
 
だから生きてさえいればいいんです
生きてるってこと自体本来幸せなんです
 
生まれた時から全部あるから気づかないけど、なくした時初めて当たり前にあるものがとても贅沢なもので、自分は幸せなんだって気付きます。
 
給料はいくらないと嫌だとか生きてけないとか、結婚しなきゃどうだとか、お金が欲しいだとか、恋人がほしいだとか、リア充がどうとか、周りが持ってるものに惑わされると、自分が本来持ってる素晴らしいものだったり、自分が本当に幸せだと思うことを見失ってしまいます。
 
節制しろとか厳しいことが言いたいわけじゃなくて、周りに流されて本当に自分にとって幸せかどうかもわからないようなものに時間を裂くのはやめて、本当の幸せを貪りたいなーって思うんです
もっともっと素敵な贅沢しましょう
 
生きている以外は今ある時代によって運良くもうまれた贅沢です
先人たちがこの時代を築いてくれていなければ、本来は自分ひとりでは得られなかったもの。
そうおもえば自分にとって本当に必要なものなんていく~つもない~と思うんだ
 
生活や必要に駆られて「やらなきゃ」とかって生きてる人がいますが、それは本当に必要でしょうか。
 
そういう周りの価値観に合わせた偽物の幸せのために必死になることないと思うんです。
苦手なこと、やりたくないことはやらなくていい。むしろやりたいことだけやらなきゃいけない
 
まわりがみんなできるからってそれをできない自分を嫌いになる必要はないし、やらなくていいし、自分のすきなこと、やれることでステータスを伸ばせばきっとそんな奴らより幸せになれます。
 
みんな持ってるものを持ってなくても、自分だけが持ってるもので幸せになれればいいなと思います
 

己の器を測る為だ・・・・・

お前の前の棚のオレオとってオレオォ!!!
なんでもないです
 
勘違いが蔓延る世の中ですが、さらに色んなことが勘違いを助長させていると思います
 
自分のステータスが分からないまま、それでも正社員として就職できれば新卒は全く技術や能力を持たないのに大金を貰えてしまいます。
 
自分にはこのくらい稼ぐだけの価値がある、とか自分はこのくらいしか稼げない、だめだ、とか色々勘違いしてしまいます。 
 
下手に勉強が出来たりなんかすると自分は頑張ってきたから今がある、とか頑張るベクトルがおかしいまま突っ走ってしまいます。
 
労働時間の対価としてお金を貰っているような生活では一生本当の自分にとっての幸せに気づけないと思います。
 
自分のステータスを測り間違えないようにしたいと思います
 
 
とにかくそういう環境や常識、まわりに作られたプライドやエリート意識を全て捨て去った先に、本来の自分の自然な姿、幸せがあるんじゃないかしら
 
周りに追いつこうと必死になってるのは不自然です。
好きなことややりたいことなら同じ分野の周りの人たちに負けないように必死に食いついていくのはかっこいいと思うけど。
きっとそれって楽しいと思うし
 
そうはいってもプライドもお金もいまの生活も手放せないよ~みたいな人は、やっぱり死ぬほど痛い目にあってみないと変われないかもしれないですね。僕もでしたけど
 
最後までよんでいただいてありがとうございます!
偉そうに語ってますがただの社会不適合者です。
もし共感していただけたり、僕と話してみたい!という方いらっしゃったら是非お話ししましょう!連絡先など↓↓ ではでは〜